慰安婦問題の真実_第十章_河野談話
まとめ(約1ページ)
「慰安婦強制連行」「慰安婦強制奴隷」を否定するため、どれだけ理をもって説明しても、これらのウソを頭から信じ込んでいる相手には分かってもらえない。その最大の理由が河野談話です。河野談話は、閣議決定されていないにも関わらず、日本政府が公式に「慰安婦強制連行」「強制奴隷」を認めたと誤解されているからです。2007年米下院対日非難決議の根拠とされるなど,著しく日本の名誉を傷つけ、日米関係にまで影を落としている。
河野談話の背景にあったのが、吉田清治の慰安婦強制連行捏造本(第五章)、さらに朝日新聞の挺身隊に関する誤報(労働力確保を目的に工場労働などに婦女子を動員したものだったが、慰安婦強制連行と誤報された)で韓国世論が反日で燃え上がったことであり、慌てた日本政府が玉虫色の政治決着を図ろうとし、さらにソウル大安秉直教授の聞き取り調査では「信頼に足らない」と判定された元慰安婦の証言をそのまま信じた、という稚拙な調査が問題を引き起こした。北朝鮮に支援された反日団体「韓国挺身隊問題対策協議会 (挺対協,第三章)」が用意した証言者の証言を裏付けもとらず疑いもせず信用したのだから、アホとしかいいようがない。
河野談話の内容で強制連行を認めたとされる部分は、インドネシアのスマランで起きた軍紀違反事件のことで(第四章)、朝鮮半島のこととは無関係だったが、それを明記しない曖昧さを残したため、誤解に拍車をかけた。
最近では、聞き取り調査の内容が産経新聞によってスクープされ、証言内容、人選などに、大問題あり、が鮮明になった。この証言者がいかにいい加減であったかは下に示す参考資料に譲るとして、選定がどす黒いものであったかを産経新聞阿比留氏は以下のように指摘している。
聞き取り調査には「韓国の民間団体の強い要望」(5年7月29日付朝日)で、オブザーバーとして福島瑞穂弁護士(社民党前党首)が同席していた。福島氏は当時、遺族会による賠償訴訟の原告側弁護士であり、さらに、聞き取り調査対象16人中の5人までもがこの訴訟の原告なのである。こうなると一定の政治的意図を感じない方が不自然だろう。
付け加えれば、遺族会は後に詐欺の疑いで警察に摘発された。日本統治時代の戦時動員被害者に対し、日本政府から補償金を受け取ってやるとして弁護士費用名目などでカネをだまし取っていたという理由だ。
(以上,阿比留氏談)
さらに2014.1.1.産経新聞スクープ「政府関係者の証言によると、韓国側はこの言葉とは裏腹に、談話発表の日時にまでたびたび注文をつけていた。」から、つまり韓国側の注文を満たすように談話が作成されたということがあきらかとなった。
安倍総理には、調査をしっかりやり直し造形の深い専門家によるチームをつくり、慰安婦問題についてぜひとも政府の公式見解として安倍談話を新たに発表してほしい。
以下読売新聞記事より抜粋、および池田信夫氏ブログから抜粋。是非読んでいただきたい。
読売新聞 基礎からわかる「慰安婦問題」[2007年3月27日付 17面]
慰安婦問題が政治・外交問題化する大きなきっかけを作ったのは、92年1月11日付の朝日新聞朝刊だった。「日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監
督、統制していたことを示す通達類や陣中日誌が、防衛庁の防衛研究所図書館に所蔵されていることが明らかになった」と報じたもので、「従軍慰安婦」の解説 として「開設当初から約8割が朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20
万ともいわれる」とも記述していた。
宮沢首相(当時)の訪韓直前というタイミングもあり、この報道で韓国世論が硬化。訪韓中、首相は盧泰愚大統領との会談で「慰安婦の募集、慰安所の経営に日本軍が何らかの形で関与していたことは否定できない」と釈明した。(以上、読売新聞より)
宮沢首相(当時)の訪韓直前というタイミングもあり、この報道で韓国世論が硬化。訪韓中、首相は盧泰愚大統領との会談で「慰安婦の募集、慰安所の経営に日本軍が何らかの形で関与していたことは否定できない」と釈明した。(以上、読売新聞より)
池田信夫氏 外務省の戦略なき政治決着
(茶文字は氏のサイト中、読売新聞からの引用箇所)
読売新聞の便利なまとめによると、外務省の対応は次のようなものだった:
政府は92年7月6日、旧日本軍が慰安所の運営などに直接関与していたが、強制徴用(強制連行)の裏づけとなる資料は見つからなかったとする調査結果を、当時の加藤紘一官房長官が発表した。
その後も韓国国内の日本に対する批判はいっこうに収まらなかったことから、政府は93年8月4日、慰安婦問題に対する公式見解となる「河野洋平官房長官談話」を発表した。ただ、この河野談話は表現にあいまいな部分があり、日本の官憲による強制連行を認めたと印象づける内容になっていた。(池田信夫)
第一に、慰安婦の募集について「軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあった」と明記した。
第二に、朝鮮半島における慰安婦の募集、移送、管理などは「総じて本人たちの意思に反して行われた」と重ねて記述した。これにより、ほとんどが強制連行だったとの印象を強めることになった。
その後も韓国国内の日本に対する批判はいっこうに収まらなかったことから、政府は93年8月4日、慰安婦問題に対する公式見解となる「河野洋平官房長官談話」を発表した。ただ、この河野談話は表現にあいまいな部分があり、日本の官憲による強制連行を認めたと印象づける内容になっていた。(池田信夫)
第一に、慰安婦の募集について「軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあった」と明記した。
第二に、朝鮮半島における慰安婦の募集、移送、管理などは「総じて本人たちの意思に反して行われた」と重ねて記述した。これにより、ほとんどが強制連行だったとの印象を強めることになった。
この「官憲等が直接これに加担した」というのは、外務省の解説によるとスマラン事件のことだが、これは末端の兵士が起こした強姦事件で、責任者はBC級戦犯として処罰された。ところが河野談話ではこの点を明記しなかったため、朝鮮半島でも官憲が強制連行したと解釈される結果になった。このように誤解を与える表現をとった原因を、石原信雄氏(当時の官房副長官)は次のように明かしている(産経新聞2007/3/1)。
当時、韓国側は談話に慰安婦募集の強制性を盛り込むよう執拗に働きかける一方、「慰安婦の名誉の問題であり、個人補償は要求しない」と非公式に打診してきた。日本側は強制性を認めれば、韓国側も矛を収めるのではないかとの期待感を抱き、強制性を認めることを談話の発表前に韓国側に伝えた。
「本人の意に反してでも強制的に集めなさいという文書は出てこなかった」のに、あたかも強制があったかのような曖昧な表現をとることで、外務省は韓国政府と政治決着しようとしたのだ。ところが結果的には、これが「日本は強制を認めた」と受け取られ、韓国メディアが騒いで収拾がつかなくなった。さらにその後も国連人権委員会のクマラスワミ氏がまとめた報告書では、慰安婦を「性的奴隷」と規定し、日本政府に補償や関係者の処罰を迫ったが、その根拠の一つが河野談話だったこのときも日本政府は抗議声明を出そうとして撤回した。
95年7月、政府は河野談話を前提に、財団法人「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」を設立。これまで364人の元慰安婦に償い金など合計約13億円を渡した。併せて、橋本、小渕、森、小泉の歴代首相がそれぞれ「おわびの手紙」を送っている。
95年7月、政府は河野談話を前提に、財団法人「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」を設立。これまで364人の元慰安婦に償い金など合計約13億円を渡した。併せて、橋本、小渕、森、小泉の歴代首相がそれぞれ「おわびの手紙」を送っている。
このように政府が「強制はなかったが悪かった」という態度表明を繰り返したため、欧米メディアまで慰安婦を「性奴隷」などと書くようになり、世界的に誤解が定着してしまった。韓国政府の官僚は実情を知っているのだが、韓国では「親日派」は悪者の代名詞なので、反日感情が暴走すると止められない。
私は政治決着を一概に否定するつもりはないが、やるなら相手国の政府が本当に問題を解決できるという見きわめが必要だ。相手から確約もとらず、そういう目算もないまま「矛を収めるのではないかとの期待感」で一方的に罪を認めるのは、ナイーブな「平和ボケ」外交というしかない。
韓国は日本に対して情報戦争を仕掛けているのだから、譲歩したら相手はいくらでも強く出てくる。これは領土問題と同じゼロサム・ゲームなので、仲よく和解する道はない。ところが昨年、日韓通貨スワップ協定を結んだとき、国会で片山さつき氏が「日本を攻撃している韓国になぜスワップを増額するのか」と追及したところ、財務省は「他の問題ではもめているので、この問題では仲よくしたい」と答えたという。
このように日韓問題に各省がバラバラに対応し、紛争の表面化を恐れて譲歩する結果、韓国が増長して状況が悪化してきた。これは戦略的な問題を官僚に丸投げ してきた政治家が悪い。内閣に日韓問題の特命チームをつくり、領土問題と慰安婦問題と通貨スワップ協定についての戦略をワンセットで考えるべきだ。
私は政治決着を一概に否定するつもりはないが、やるなら相手国の政府が本当に問題を解決できるという見きわめが必要だ。相手から確約もとらず、そういう目算もないまま「矛を収めるのではないかとの期待感」で一方的に罪を認めるのは、ナイーブな「平和ボケ」外交というしかない。
韓国は日本に対して情報戦争を仕掛けているのだから、譲歩したら相手はいくらでも強く出てくる。これは領土問題と同じゼロサム・ゲームなので、仲よく和解する道はない。ところが昨年、日韓通貨スワップ協定を結んだとき、国会で片山さつき氏が「日本を攻撃している韓国になぜスワップを増額するのか」と追及したところ、財務省は「他の問題ではもめているので、この問題では仲よくしたい」と答えたという。
このように日韓問題に各省がバラバラに対応し、紛争の表面化を恐れて譲歩する結果、韓国が増長して状況が悪化してきた。これは戦略的な問題を官僚に丸投げ してきた政治家が悪い。内閣に日韓問題の特命チームをつくり、領土問題と慰安婦問題と通貨スワップ協定についての戦略をワンセットで考えるべきだ。
(以上は池田信夫氏 外務省の戦略なき政治決着 より)
参考資料 (4)〜(7)は下に全文をコピペ。
(1)河野洋平が愛した洋公主…慰安婦役者の最初のウソ
このサイトには、産経新聞が紙面版で発表したスクープの内容を見る事ができます。
(2)池田信夫 blog 知られざる「加藤談話」
(3)池田信夫 blog 慰安婦問題の「主犯」は福島瑞穂弁護士
(4)産経新聞
元慰安婦報告書、ずさん調査浮き彫り 慰安所ない場所で「働いた」など証言曖昧 河野談話の根拠崩れる
(5)産経新聞
「韓国を信頼し『公正・冷静に語れる人を』と言い韓国は約束した」
石原元官房副長官
(6)産経新聞
歴史認識-慰安婦問題 河野談話「朝毎VS産読」鮮明に
(7)産経新聞
公正、真実、信頼…どこまでも怪しい河野談話
(8)産経新聞 2014.1.1
河野談話の欺瞞性さらに 事実上の日韓「合作」証言
(9)読売新聞 [2007年3月27日付 17面] 全文
基礎からわかる「慰安婦問題」
◇米下院の対日決議案要旨
(4)産経新聞
元慰安婦報告書、ずさん調査浮き彫り 慰安所ない場所で「働いた」など証言曖昧 河野談話の根拠崩れる
産経新聞は15日、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年8月の「河野洋平官房長官談話」の根拠となった、韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査報
告書を入手した。証言の事実関係はあいまいで別の機会での発言との食い違いも目立つほか、氏名や生年すら不正確な例もあり、歴史資料としては通用しない内 容だった。軍や官憲による強制連行を示す政府資料は一切見つかっておらず、決め手の元慰安婦への聞き取り調査もずさんだったと判明したことで、河野談話の
正当性は根底から崩れたといえる。産経新聞は河野氏に取材を申し入れたが、応じなかった。
5年7月26日から30日までの5日間、ソウル で実施した聞き取り調査に関しては9年、当時の東良信内閣外政審議室審議官が自民党の勉強会で「(強制性認定の)明確な根拠として使えるものではなかっ
た」と証言している。ところが政府は、この調査内容を「個人情報保護」などを理由に開示してこなかった。
産経新聞が今回入手した報告書はA4判13枚で、調査対象の16人が慰安婦となった理由や経緯、慰安所での体験などが記されている。だまされたり、無理やり連れて行かされたりして客を取らされるなどの悲惨な境遇が描写されている。
しかし、資料としての信頼性は薄い。当時、朝鮮半島では戸籍制度が整備されていたにもかかわらず、報告書で元慰安婦の生年月日が記載されているのは半数の8人で空欄が6人いた。やはり朝鮮半島で重視される出身地についても、大半の13人が不明・不詳となっている。
肝心の氏名に関しても、「呂」と名字だけのものや「白粉」と不完全なもの、「カン」などと漢字不明のものもある。また、同一人物が複数の名前を使い分けているか、調査官が名前を記載ミスしたとみられる箇所も存在する。
大阪、熊本、台湾など戦地ではなく、一般の娼館はあっても慰安所はなかった地域で働いたとの証言もある。元慰安婦が台湾中西部の地名「彰化」と話した部分を日本側が「娼家」と勘違いして報告書に記述している部分もあった。
また、聞き取り調査対象の元慰安婦の人選にも疑義が残る。調査には、日本での慰安婦賠償訴訟を起こした原告5人が含まれていたが、訴状と聞き取り調査での証言は必ずしも一致せず二転三転している。
日本側の聞き取り調査に先立ち、韓国の安(アン)秉(ビョン)直(ジク)ソウル大教授(当時)が中心となって4年に行った元慰安婦への聞き取り調査では、
連絡可能な40人余に5~6回面会した結果、「証言者が意図的に事実を歪(わい)曲(きょく)していると思われるケース」(安氏)があったため、採用した のは19人だった。
政府の聞き取り調査は、韓国側の調査で不採用となった元慰安婦も複数対象としている可能性が高いが、政府は裏付け調査や確認作業は一切行っていない。
談話作成に関わった事務方トップの石原信雄元官房副長官は産経新聞の取材に対し「私は報告書は見ておらず、担当官の報告を聞いて判断したが、談話の大前提
である証言内容がずさんで真実性、信(しん)憑(ぴょう)性(せい)を疑わせるとなると大変な問題だ。人選したのは韓国側であり、信頼関係が揺らいでく る」と語った。
■河野談話 平成5年8月、宮沢喜一内閣の河野洋平官房長官が元慰安婦に心からのおわび と反省の気持ちを表明した談話。慰安婦の募集に関し、強制連行の存在を示す政府資料が国内外で一切見つかっていないにもかかわらず、「官憲等が直接これに
加担したこともあった」「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」などと強制性を認定した。閣議決定はされていない。
(5)産経新聞
「韓国を信頼し『公正・冷静に語れる人を』と言い韓国は約束した」
石原元官房副長官
石原信雄元官房副長官=11日、東京都中央区(寺河内美奈撮影)
河野談話作成時に事務方トップだった石原信雄元官房副長官は15日までに、産経新聞のインタビューに次のように語った。(阿比留瑠比、佐々木美恵)
--聞き取り調査結果を見ると生年月日や氏名、出身地の明記がない者が多い
「証言者の身元がかなりあやふやという印象を持ったわけですね。(身元は)証言内容を判断する上で非常に重要な要素だ」
--16人の中には、安秉直ソウル大教授(当時)らの調査で信頼性が低いとされ、韓国側の証言集から省かれた人が含まれているようだ
「信用できない人について日本政府が聞き取りしたと?」
--日本の複数の新聞や韓国側の調査に対し、それぞれ異なる証言をした人も含まれている
「うーん。そういう話になると、基本がおかしくなる。もともとの証言の信(しん)憑(ぴょう)性(せい)が揺らいでくる」
--そういうことになる
「証言者の人選は韓国側が行った。私たちは韓国側を信頼し『反日運動をやっておらず、公正・冷静に自分の過去を語れる人を選んでくれ』と言い、韓国側がそれを約束したから調査に行った。その根っこが揺らぐと何をか言わんやだ」
--対日裁判を起こした当事者も5人含まれる
「反日運動に関わっている人は外してくれと言い、韓国側はそうします、と言っていた」
--石原さんら日本側の理解はそうでも、現実は違っていた可能性が高い
「残念ながら、当時の状況では身元調べというか、裏打ちするまで能力がなかった。だから信頼関係でやったわけだ、あくまで。その信頼が崩れるとなると何をか言わんやだ」
--裁判を起こした5人についても、訴状と安氏、日本政府の聞き取りに対する証言が食い違う
「ああ、そういうことになると、何が真実かということになってくると、証言自身の信憑性というか、価値が下がってくる」
--調査報告書では台湾の地名を「娼家」と間違えている箇所もあった
「証言内容をチェックする時間はなかった。私は担当官の報告を聞いて判断した。紙は見ていない。報告を聞いての心証で河野談話をまとめた」
--河野談話が強制性を認めた根拠は、16人の証言が決め手だったはずだが
「そうだ。担当官の報告を聞いて、大部分は家が貧しく泣く泣くなったのだろうが、中には筋の良くない人たちが相当悪(あく)辣(らつ)な手段で集めたということが否定できない。そういう心証であの文書(談話)になった」
--業者の悪辣な行動は日本軍の責任ではない
「だから『加藤談話』(平成4年の加藤紘一官房長官談話)は、わが方が直接連行したことを裏付けるものがないので(軍の関与は)ないとした」
--聞き取り調査は証拠資料たり得ないのでは
「(証言者は)真実を語れる人、というのが調査の前提だった。その日本側の善意が裏切られたということになる。それに基づいて世界中に強制的に慰安婦にされたということが事実として広まっていくとなると、全く心外な話だ」
--強制性を認めるための調査ではなかったか
「そんな意図は私にはなかった。国の名誉が関わる問題だから。ただ、役人としては時の政権の方針に従ってやるしかない。一切の弁解はしない」
(6)産経新聞
歴史認識-慰安婦問題 河野談話「朝毎VS産読」鮮明に
慰安婦問題が誤解を招くようになった最大の原因は平成5年8月に出された河野洋平官房長官談話だ。
談話は「従軍慰安婦」という戦後の造語を使い、その募集について「官憲等が直接これに加担したこともあった」と日本の軍や警察による強制連行を認める内容だった。河野氏も会見で「強制連行」があったと明言した。
当時、産経だけが「政府が何を根拠にこうした結論を導き出したのか必ずしもはっきりしない」「慰安婦のほとんどが『強制連行』だったということが歴史的事実としてひとり歩きしてしまうのは危うい」と河野談話に疑問を提起した。
他紙は談話を当然の結論として受け止めた。
朝日「被害者の名誉回復への前進である」
毎日「政府がこれまでの行きがかりから抜け出て率直に歴史を直視したことは一歩前進と認めたい」
読売「河野官房長官が『心からのお詫(わ)びと反省』の意を表明したのも当然だ」
当時、宮沢喜一内閣が内外で集めた慰安婦に関する公式文書も発表された。
総数は二百数十点に及び、4年7月と5年8月の2回に分けて発表された。
◆破綻した「強制連行」説
ところが、9年3月、河野談話作成にかかわった石原信雄元官房副長官の証言により、日本政府が集めた公式文書には強制連行を示す証拠がなく、談話発表直前に韓国政府の要請で行った韓国人元慰安婦16人からの聞き取り調査だけで「強制連行」を認めたことが明らかになった。
談話に基づく慰安婦「強制連行」説は破綻した。
産経は、河野談話が「韓国を満足させるための政治決着の産物だったことも明瞭になった」として河野氏に国会での説明を求めた。
朝日はなお、「全体として強制と呼ぶべき実態があったのは明らか」と河野談話を擁護した。強制連行を示す資料が見つからなくても、「広義の強制性」はあったとする主張だ。
読売は「近年のいわゆる従軍慰安婦問題なども、とかくバランスを欠いた形で論じられることが多い」「日本の場合、官憲が『強制連行』したことを示す資料はない」と指摘し、朝日や毎日と距離を置くようになった。
読売は、元慰安婦への償い金支給事業を行ったアジア女性基金に関する17年2月6日付で「日本政府の一連の対応も、『不見識』としかいいようがないものだった。代表的なものは、一九九三年八月、宮沢政権下の河野洋平官房長官談話だろう」と明確に河野談話を批判した。
その後、河野談話を擁護する朝日・毎日と、談話見直しを求める読売・産経の主張がしばしば対立した。
◆「偽りの見解」是正要求
昨夏、慰安婦問題での日本の対応を不満とする李明博・韓国大統領の竹島不法上陸などを機に、日韓関係が急速に冷え込んだ。
朝日は、河野談話の見直しを求める一部政治家を批判し、野田佳彦首相に河野談話踏襲を改めて内外に明言するよう求めた。
これに対し、読売は「河野談話という自民党政権時代の『負の遺産』」の見直し、産経は河野談話の破棄を求めた。
今年7月末、米カリフォルニア州グレンデール市で、韓国系住民の反日運動により慰安婦の少女像が設置された。
毎日は「日本政府が国際社会に、こうした河野談話やアジア女性基金などの説明を十分にしてこなかったという、外交発信の失敗も大きい」として、あくまで河野談話などの丁寧な説明を求めた。
これに対し、読売は「歪曲(わいきょく)された歴史が、全米に喧伝(けんでん)されようとしている」と憂慮し、「河野談話が誤解の火種となった」と談話の見直しを求めた。
産経は河野談話から20年の8月4日付で「偽りの見解」を正すよう求めた。
日経は河野談話をあまり取り上げていないが、今年8月16日付で「談話を見直せば、政府が一度決めたものを覆すとして、国際的な不信感を募らせることにならないだろうか」と見直し論を疑問視し朝日・毎日に近い立場を示した。
■誤報が独り歩き
慰安婦問題をめぐる誤解の原因は、日本の一部マスコミの誤報にもある。
戦時中、山口県労務報国会下関支部動員部長だったという吉田清治氏の「韓国・済州島で女性をトラックで強制連行した」との“証言”を、朝日などが平成3年から4年にかけ、勇気ある告白として報じた。
朝日は4年1月23日付夕刊の論説委員室コラム「窓」でも、「木剣を振るって若い女性を殴り、けり、トラックに詰め込む」「吉田さんらが連行した女性は、少なくみても九百五十人はいた」などと詳しく書いた。
しかし、現代史家、秦郁彦氏の現地調査で、吉田氏の証言は嘘と判明した。
朝日の前主筆、若宮啓文氏は先月出した著書『新聞記者』で、「力ずくの『慰安婦狩り』を実際に行ったという日本の元軍人の話を信じて、確認のとれぬまま記事にするような勇み足もあった」と書いているが、朝日自身はまだ、新聞で訂正していない。
また、朝日と毎日は当初、慰安婦が「女子挺身(ていしん)隊」の名で集められたと繰り返し書いた。
「挺身隊」は昭和19(1944)年8月の女子挺身勤労令に基づき、軍需工場などに動員された女子勤労挺身隊のことだ。主に女衒(ぜげん)ら民間業者が軍隊用に募集した慰安婦とは異なる。
その後、慰安婦と挺身隊を混同した記述は、韓国の教科書や日本の教師用指導書などで独り歩きした。
この誤報も、訂正されていない。
◇
★河野洋平官房長官談話(平成5年8月)
【朝日】8・5 戦後補償を正面の課題に
【毎日】8・6 歴史の教訓として生かそう
【読売】8・5 「強制性」認めた「慰安婦」調査
【産経】8・5 すべてが「強制」だったのか
【日経】8・5 戦争責任の総括的清算を
★石原信雄元官房副長官が証言(9年3月)
【朝日】3・31 歴史から目をそらすまい
【読売】4・13 まだ残る“日本性悪説”の呪縛
【産経】3・14 河野氏は国会で事実語れ
★米下院外交委で慰安婦決議(19年6月)
【朝日】6・28 首相は深刻さを認識せよ
【毎日】6・28 安倍外交にも問題がある
【読売】6・28 米議会の「誤解」の根元を絶て
【産経】6・28 事実を示し誤解を解こう
★日韓首脳会談(23年12月)
【朝日】12・19 人道的打開策を探ろう
【毎日】12・19 原則曲げずに対応を
【読売】12・19 慰安婦で安易な妥協は禁物だ
【産経】12・19 「融和」外交が禍根残した
【日経】12・19 経済主導で日韓の対立を乗り越えよう
★李明博・韓国大統領の竹島不法上陸(24年8月)
【朝日】8・31 枝でなく、幹を見よう
【毎日】8・25 頭を冷やして考えよう
【読売】8・29 「負の遺産」の見直しは当然だ
【産経】9・ 1 偽りの河野談話破棄せよ
★橋下徹・大阪市長の発言(25年5月)
【朝日】5・15 これが政治家の発言か
【毎日】5・15 国際社会に通用しない
【読売】5・16 女性の尊厳踏みにじる不見識
【産経】5・15 女性の尊厳損ね許されぬ
【日経】5・16 橋下氏への内外の厳しい視線
★米グレンデール市に慰安婦像(25年7月)
【毎日】8・4 丁寧な説明今からでも
【読売】8・1 憂うべき米国での「反日」拡大
【産経】8・2 官民あげ曲解正す発信を
(7)産経新聞 【阿比留瑠比の極言御免】
公正、真実、信頼…どこまでも怪しい河野談話
慰安婦募集の強制性を認めた平成5年8月の河野談話の根拠となった、韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査の実態について、改めて考えてみたい。
「バイアスのかかった人たち、反日運動をやっている人から聞いたのでは、初めから参考にならない。そうではなくて、真実を語れるような状況のもとで公正な、真実を語ってくれる人を選んでくれと韓国側に言った。韓国側も同意した」
河野談話作成に事務方のトップとしてかかわった石原信雄元官房副長官は今回、産経新聞のインタビューでこう繰り返した。
その考え自体に異論はないが、肝心なのは実態はどうかだ。石原氏は韓国側を「信頼していた」と振り返ったが、聞き取り調査がそんな公正性が担保されるような環境下になかったことは明々白々なのである。
もともと聞き取り調査は、慰安婦募集の強制性を示す物的証拠が一切見つからない中で「向こう(韓国政府)が『当事者の意見を聞いてくれ』と言ってきた」
(石原氏)という。だが、実際に調査が実施された場所は韓国政府の公館でも何でもなく、太平洋戦争犠牲者遺族会という民間団体の事務所だった。
そしてこの遺族会とは当時、日本政府を相手に慰安婦賠償訴訟を起こしていたいわくつきの団体である。
そもそも慰安婦問題に火がついた一つのきっかけは、朝日新聞が3年8月に「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」と報じたことだ。記事は
「女子挺身(ていしん)隊の名で戦場に連行」などと事実に反した内容だったが、これを書いた記者の義母が幹部を務めていたのが、この遺族会というのも因縁 めいている。
また、聞き取り調査には「韓国の民間団体の強い要望」(5年7月29日付朝日)で、オブザーバーとして福島瑞穂弁護士(社民党前党首)が同席していた点もしっくりこない。
福島氏は当時、遺族会による賠償訴訟の原告側弁護士であり、さらに、聞き取り調査対象16人中の5人までもがこの訴訟の原告なのである。こうなると、石原氏の言う「公正」「真実」などむなしい限りで、むしろ一定の政治的意図を感じない方が不自然だろう。
付け加えれば、遺族会は後に詐欺の疑いで警察に摘発された。日本統治時代の戦時動員被害者に対し、日本政府から補償金を受け取ってやるとして弁護士費用名目などでカネをだまし取っていたという理由だ。
福島氏は前述の5年の朝日記事の中で、日本政府の調査団が聞き取り調査の冒頭、元慰安婦に「日本は、やってはいけないことをした」と必ず謝罪したとのエピソードを明かしている。何のことはない、日本側は話を聞く前から結論を決めていたのではないか。
ちなみに政府は聞き取り調査内容を非公開としているが、当時の新聞には調査に応じた複数の元慰安婦の名前が堂々と掲載されている。今さらプライバシー保護でもあるまい。河野談話は、どこまでもうさんくさい。(政治部編集委員)
(8)産経新聞 2014.1.1
証拠資料も日本側の証言者も一切ないまま強制性を認めた河野談話をめぐっては、唯一の根拠となった韓国での元慰安婦16人への聞き取り調査も極め
てずさんだったことがすでに判明している。今回、談話の文案にまで韓国側が直接関与した事実上の日韓合作だったことが明らかになり、談話の欺瞞(ぎまん) 性はもう隠しようがなくなった。
そもそも、当時河野談話作成にかかわった当事者らはこれまで、韓国とのやりとりについてどう語っていたか。河野洋平元官房長官は平成9年3月31日付の朝日新聞のインタビューにこう答えている。
「談話の発表は、事前に韓国外務省に通告したかもしれない。その際、趣旨も伝えたかもしれない。しかし、この問題は韓国とすり合わせるような性格のものではありません」
河野氏は胸を張るが、政府関係者の証言によると、韓国側はこの言葉とは裏腹に、談話発表の日時にまでたびたび注文をつけていた。当時、宮沢喜一内閣は風前のともしび(談話発表の翌日に総辞職)だったため、談話発表後の実効性を懸念したのだとみられる。
一方、事務方トップだった石原信雄元官房副長官は同年3月9日付の産経新聞のインタビューで次のように述べていた。
「談話そのものではないが、趣旨は発表直前に(韓国側に)通告した。草案段階でも、内閣外政審議室は強制性を認めるかなどの焦点については、在日韓国大使館と連絡を取り合って作っていたと思う」
石原氏の方が比較的実態に近いようだが、実際は趣旨どころか談話の原案も最終案も韓国側に提示し、「添削」すら受けていた。河野、石原両氏は外交の現場の実情を把握していなかったのかもしれないが、結果として国民をミスリードしたことは否めない。
河野談話は日本の政府見解であるのに、自国民より先に韓国側に通報され、その手が加わって成立した。いまなお韓国が執拗(しつよう)に慰安婦問題で日本を批判しているむなしい現実を思うと、有害無益だったと断じざるを得ない。(阿比留瑠比)
(8)読売新聞 [2007年3月27日付 17面] 全文
基礎からわかる「慰安婦問題」
■ 基礎からわかる「慰安婦問題」(解説)
いわゆる従軍慰安婦問題をめぐる論議が再び蒸し返されている。米下院では、慰安婦問題を「奴隷制」「人身売買」になぞらえ、日本政府に謝罪などを求める対日決議案の審議が進んでいる。どうしてこうした曲解が広がってきたのか。あらためて論点を整理する。
(政治部・高木雅信、松永宏朗、山田恵美)
◆公娼制度の戦地版
慰安婦問題を論議するためには、「公娼制度」が認められていた当時の社会状況を理解しておくことが欠かせない。公娼制度とは売春を公的に管理する制度で、戦後も1957年の売春防止法施行まで、いわゆる赤線地帯に限って売春が黙認されていた。
慰安婦は、戦時中に軍専用の「慰安所」と呼ばれる施設で対価を得て将兵の相手をしていた女性のことだ。政府が93年8月4日に発表した調査報告書「いわゆる 従軍慰安婦問題について」によると、32年(昭和7年)ごろ中国・上海に慰安所が設けられた記録があり、45年(昭和20年)の終戦まで旧日本軍が駐屯していた各地に広がった。軍直営の慰安所もあったが、多くは民間業者により経営されていた。現代史家の秦郁彦氏(元日大教授)は、慰安婦を「戦前の日本に定着していた公娼制度の戦地版と位置づけるべきだ」と指摘する。
慰安婦は、従軍看護婦や従軍記者らのように「軍属」扱いされることはなく、「従軍慰安婦」という呼称は存在しなかった。その呼称が広まったのは戦後のことで、作家の千田夏光氏が73年に出版した「従軍慰安婦」の影響が大きかった。
慰安婦となったのは、日本人のほか、当時は日本の植民地だった朝鮮半島や台湾の出身者、旧日本軍が進出していた中国、フィリピン、インドネシアなどの現地女性が確認されている。秦氏の推計によると、慰安婦の約4割は日本人で、中国などの女性が約3割、朝鮮半島出身者は約2割だったとされる。
ただし、正確な総数は不明だ。96年に国連人権委員会のラディカ・クマラスワミ特別報告者がまとめた報告書には、北朝鮮で受けた説明として、朝鮮半島出身者 だけで「20万人」と記載されている。ただ、同報告は事実関係の誤りや情報の出所の偏りが多く、この数字についても、日本政府は「客観的根拠を欠く」(麻生外相)と否定している。
慰安婦や慰安所を必要とした理由は、
〈1〉占領地の女性の強姦など将兵の性犯罪を防ぐ
〈2〉検診を受けていない現地の売春婦と接することで軍隊内に性病が広がることを防ぐ
〈3〉将兵の接する女性を限定し、軍事上の秘密が漏れることを防ぐ
――ためとされている。
こ うした制度や施設の存在は、旧日本軍だけの特別な事例ではなかった。戦後、日本に進駐した米軍は日本側の用意した慰安施設を利用した。米軍関係者が日本当 局者に女性の提供を要求したケースもあった。また、ベトナム戦争の際に旧日本軍とそっくりな慰安所が設けられていたことも、米女性ジャーナリストによって 指摘されている。
このほか、秦氏によれば「第2次大戦中はドイツ軍にも慰安所があった。しかも、女性が強制的に慰安婦にさせられたケースもあった。韓国軍も朝鮮戦争当時、慰安所を持っていたことが韓国人研究者の調べでわかった」という。
◆強制連行の資料なし
問題が蒸し返される根底には、官憲による組織的な「強制連行」があったという誤解が十分には解消されていないことがある。
政府は、「旧日本軍は慰安所の設置や管理に直接関与した」として、旧軍が「関与」したことは率直に認めている。ただし、ここで言う「関与」とは、
〈1〉開設の許可
〈2〉施設整備
〈3〉利用時間や料金を定めた慰安所規定の作成
〈4〉軍医による検査
――などを指すものだ。一方で、慰安婦の強制連行については「公的資料の中には、強制連行を直接示す記述はない」(97年3月18日の内閣外政審議室長の国会答弁)と明確に否定している。これを覆す確かな資料はその後も見つかっていない。
「強制連行はあった」という見方が広がるきっかけとなったのが、83年に元「労務報国会下関支部動員部長」を名乗る吉田清治氏が出版した「私の戦争犯罪」という本だ。吉田氏は、済州島(韓国)で“慰安婦狩り”にかかわった経験があるとして、「泣き叫ぶ女を両側から囲んで、腕をつかんでつぎつぎに路地に引きずり 出してきた」などと生々しく記述した。しかし、この本は90年代半ばには研究者によって信憑性が否定され、安倍首相も07年3月5日の参院予算委員会で、 「朝日新聞(の報道)だったと思うが、吉田清治という人が慰安婦狩りをしたと証言した訳だが、後にでっち上げだと分かった」と述べ、強制連行の証拠にはならないと指摘した。
また、慰安婦問題が政治・外交問題化する過程で、韓国や日本の一部で、「女子挺身隊」と慰安婦を同一視する誤った認識 を喧伝する動きがあったことも、「強制連行」イメージに拍車をかけた。女子挺身隊は、秦氏の「慰安婦と戦場の性」(新潮選書)によると44年8月から、 「女子挺身勤労令」に基づいて12~40歳の未婚女子を工場労働などに動員したものだ。あくまで労働力確保が目的だった。
慰安所に女性を集めてくる女衒などの仲介業者が、高収入が得られるなどの甘言で誘ったり、慰安所での暮らしを十分説明しなかったりする悪質な手段を使う事例はあった。陸軍省が中国派遣軍にあてた「軍慰安所従業婦等募集に関する件」(38年3月4日付)では、誘拐に近い募集など問題のある業者がいると指摘し、「軍の威信保持上、並に社会問題上、遺漏なき様」と呼びかけている。軍としては、募集が強制的にならないよう注意を払っていたことを示す資料と言える。
それでも、戦争の混乱の中で、インドネシアでは旧日本軍の「南方軍幹部候補生隊」が抑留されたオランダ人女性を慰安所に送り込んだ事件(スマラン事件)が発生した。事情を知った上級司令部はすぐに慰安所を閉鎖させたが、事件の責任者らは戦後、オランダ軍による戦犯裁判で死刑を含む厳罰に処せられている。
◆あいまい表現の河野談話 「強制連行」の誤解広げる
/歴代首相おわびの手紙 基金から償い金も
慰安婦問題が政治・外交問題化する大きなきっかけを作ったのは、92年1月11日付の朝日新聞朝刊だった。「日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監 督、統制していたことを示す通達類や陣中日誌が、防衛庁の防衛研究所図書館に所蔵されていることが明らかになった」と報じたもので、「従軍慰安婦」の解説 として「開設当初から約8割が朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20 万ともいわれる」とも記述していた。
宮沢首相(当時)の訪韓直前というタイミングもあり、この報道で韓国世論が硬化。訪韓中、首相は盧泰愚大統領との会談で「慰安婦の募集、慰安所の経営に日本軍が何らかの形で関与していたことは否定できない」と釈明した。
政府は92年7月6日、旧日本軍が慰安所の運営などに直接関与していたが、強制徴用(強制連行)の裏づけとなる資料は見つからなかったとする調査結果を、当時の加藤紘一官房長官が発表した。
その後も韓国国内の日本に対する批判はいっこうに収まらなかったことから、政府は93年8月4日、慰安婦問題に対する公式見解となる「河野洋平官房長官談話」を発表した。
ただ、この河野談話は表現にあいまいな部分があり、日本の官憲による強制連行を認めたと印象づける内容になっていた。
第 一に、慰安婦の募集について「軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例 が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあった」と明記した。第二に、朝鮮半島における慰安婦の募集、移送、管理などは「総じて本人たちの 意思に反して行われた」と重ねて記述した。これにより、ほとんどが強制連行だったとの印象を強めることになった。
強制連行を認めるよう迫る韓国側に配慮し、談話によって問題の政治決着を図ろうという狙いがあった。談話作成にかかわった石原信雄・元官房副長官も後に、「強制連行を立証する資 料はなく、慰安婦の証言をもとに総合判断として強制があったということになった」と証言している。
しかし、この河野談話は慰安婦問題を完全決着させる効果は果たさず、むしろ官憲による「強制連行」という誤解を内外に拡散させる結果を生んだ。
国連人権委員会のクマラスワミ氏がまとめた報告書では、慰安婦を「性的奴隷」と規定し、日本政府に補償や関係者の処罰を迫ったが、その根拠の一つが河野談話 だった。現在、米下院で審議されている決議案の代表提出者マイケル・ホンダ議員(民主党)も、決議案の根拠として河野談話を挙げている。
日系のホンダ議員が決議案の代表提出者となった背景には、3月16日付本紙朝刊国際面で紹介したように、日系人が相対的に減少傾向にある一方で、中国系や韓国系住民が増加している選挙区事情があるなどと指摘されている。
95年7月、政府は河野談話を前提に、財団法人「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」を設立。これまで364人の元慰安婦に償い金など合計約13億円を渡した。併せて、橋本、小渕、森、小泉の歴代首相がそれぞれ「おわびの手紙」を送っている。
河野談話について、安倍首相は06年10月5日の衆院予算委員会で、自らの内閣でも基本的に引き継ぐ考えを示したが、官憲による「強制連行」は否定した。
いわゆる従軍慰安婦問題をめぐる論議が再び蒸し返されている。米下院では、慰安婦問題を「奴隷制」「人身売買」になぞらえ、日本政府に謝罪などを求める対日決議案の審議が進んでいる。どうしてこうした曲解が広がってきたのか。あらためて論点を整理する。
(政治部・高木雅信、松永宏朗、山田恵美)
◆公娼制度の戦地版
慰安婦問題を論議するためには、「公娼制度」が認められていた当時の社会状況を理解しておくことが欠かせない。公娼制度とは売春を公的に管理する制度で、戦後も1957年の売春防止法施行まで、いわゆる赤線地帯に限って売春が黙認されていた。
慰安婦は、戦時中に軍専用の「慰安所」と呼ばれる施設で対価を得て将兵の相手をしていた女性のことだ。政府が93年8月4日に発表した調査報告書「いわゆる 従軍慰安婦問題について」によると、32年(昭和7年)ごろ中国・上海に慰安所が設けられた記録があり、45年(昭和20年)の終戦まで旧日本軍が駐屯していた各地に広がった。軍直営の慰安所もあったが、多くは民間業者により経営されていた。現代史家の秦郁彦氏(元日大教授)は、慰安婦を「戦前の日本に定着していた公娼制度の戦地版と位置づけるべきだ」と指摘する。
慰安婦は、従軍看護婦や従軍記者らのように「軍属」扱いされることはなく、「従軍慰安婦」という呼称は存在しなかった。その呼称が広まったのは戦後のことで、作家の千田夏光氏が73年に出版した「従軍慰安婦」の影響が大きかった。
慰安婦となったのは、日本人のほか、当時は日本の植民地だった朝鮮半島や台湾の出身者、旧日本軍が進出していた中国、フィリピン、インドネシアなどの現地女性が確認されている。秦氏の推計によると、慰安婦の約4割は日本人で、中国などの女性が約3割、朝鮮半島出身者は約2割だったとされる。
ただし、正確な総数は不明だ。96年に国連人権委員会のラディカ・クマラスワミ特別報告者がまとめた報告書には、北朝鮮で受けた説明として、朝鮮半島出身者 だけで「20万人」と記載されている。ただ、同報告は事実関係の誤りや情報の出所の偏りが多く、この数字についても、日本政府は「客観的根拠を欠く」(麻生外相)と否定している。
慰安婦や慰安所を必要とした理由は、
〈1〉占領地の女性の強姦など将兵の性犯罪を防ぐ
〈2〉検診を受けていない現地の売春婦と接することで軍隊内に性病が広がることを防ぐ
〈3〉将兵の接する女性を限定し、軍事上の秘密が漏れることを防ぐ
――ためとされている。
こ うした制度や施設の存在は、旧日本軍だけの特別な事例ではなかった。戦後、日本に進駐した米軍は日本側の用意した慰安施設を利用した。米軍関係者が日本当 局者に女性の提供を要求したケースもあった。また、ベトナム戦争の際に旧日本軍とそっくりな慰安所が設けられていたことも、米女性ジャーナリストによって 指摘されている。
このほか、秦氏によれば「第2次大戦中はドイツ軍にも慰安所があった。しかも、女性が強制的に慰安婦にさせられたケースもあった。韓国軍も朝鮮戦争当時、慰安所を持っていたことが韓国人研究者の調べでわかった」という。
◆強制連行の資料なし
問題が蒸し返される根底には、官憲による組織的な「強制連行」があったという誤解が十分には解消されていないことがある。
政府は、「旧日本軍は慰安所の設置や管理に直接関与した」として、旧軍が「関与」したことは率直に認めている。ただし、ここで言う「関与」とは、
〈1〉開設の許可
〈2〉施設整備
〈3〉利用時間や料金を定めた慰安所規定の作成
〈4〉軍医による検査
――などを指すものだ。一方で、慰安婦の強制連行については「公的資料の中には、強制連行を直接示す記述はない」(97年3月18日の内閣外政審議室長の国会答弁)と明確に否定している。これを覆す確かな資料はその後も見つかっていない。
「強制連行はあった」という見方が広がるきっかけとなったのが、83年に元「労務報国会下関支部動員部長」を名乗る吉田清治氏が出版した「私の戦争犯罪」という本だ。吉田氏は、済州島(韓国)で“慰安婦狩り”にかかわった経験があるとして、「泣き叫ぶ女を両側から囲んで、腕をつかんでつぎつぎに路地に引きずり 出してきた」などと生々しく記述した。しかし、この本は90年代半ばには研究者によって信憑性が否定され、安倍首相も07年3月5日の参院予算委員会で、 「朝日新聞(の報道)だったと思うが、吉田清治という人が慰安婦狩りをしたと証言した訳だが、後にでっち上げだと分かった」と述べ、強制連行の証拠にはならないと指摘した。
また、慰安婦問題が政治・外交問題化する過程で、韓国や日本の一部で、「女子挺身隊」と慰安婦を同一視する誤った認識 を喧伝する動きがあったことも、「強制連行」イメージに拍車をかけた。女子挺身隊は、秦氏の「慰安婦と戦場の性」(新潮選書)によると44年8月から、 「女子挺身勤労令」に基づいて12~40歳の未婚女子を工場労働などに動員したものだ。あくまで労働力確保が目的だった。
慰安所に女性を集めてくる女衒などの仲介業者が、高収入が得られるなどの甘言で誘ったり、慰安所での暮らしを十分説明しなかったりする悪質な手段を使う事例はあった。陸軍省が中国派遣軍にあてた「軍慰安所従業婦等募集に関する件」(38年3月4日付)では、誘拐に近い募集など問題のある業者がいると指摘し、「軍の威信保持上、並に社会問題上、遺漏なき様」と呼びかけている。軍としては、募集が強制的にならないよう注意を払っていたことを示す資料と言える。
それでも、戦争の混乱の中で、インドネシアでは旧日本軍の「南方軍幹部候補生隊」が抑留されたオランダ人女性を慰安所に送り込んだ事件(スマラン事件)が発生した。事情を知った上級司令部はすぐに慰安所を閉鎖させたが、事件の責任者らは戦後、オランダ軍による戦犯裁判で死刑を含む厳罰に処せられている。
◆あいまい表現の河野談話 「強制連行」の誤解広げる
/歴代首相おわびの手紙 基金から償い金も
慰安婦問題が政治・外交問題化する大きなきっかけを作ったのは、92年1月11日付の朝日新聞朝刊だった。「日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監 督、統制していたことを示す通達類や陣中日誌が、防衛庁の防衛研究所図書館に所蔵されていることが明らかになった」と報じたもので、「従軍慰安婦」の解説 として「開設当初から約8割が朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20 万ともいわれる」とも記述していた。
宮沢首相(当時)の訪韓直前というタイミングもあり、この報道で韓国世論が硬化。訪韓中、首相は盧泰愚大統領との会談で「慰安婦の募集、慰安所の経営に日本軍が何らかの形で関与していたことは否定できない」と釈明した。
政府は92年7月6日、旧日本軍が慰安所の運営などに直接関与していたが、強制徴用(強制連行)の裏づけとなる資料は見つからなかったとする調査結果を、当時の加藤紘一官房長官が発表した。
その後も韓国国内の日本に対する批判はいっこうに収まらなかったことから、政府は93年8月4日、慰安婦問題に対する公式見解となる「河野洋平官房長官談話」を発表した。
ただ、この河野談話は表現にあいまいな部分があり、日本の官憲による強制連行を認めたと印象づける内容になっていた。
第 一に、慰安婦の募集について「軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例 が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあった」と明記した。第二に、朝鮮半島における慰安婦の募集、移送、管理などは「総じて本人たちの 意思に反して行われた」と重ねて記述した。これにより、ほとんどが強制連行だったとの印象を強めることになった。
強制連行を認めるよう迫る韓国側に配慮し、談話によって問題の政治決着を図ろうという狙いがあった。談話作成にかかわった石原信雄・元官房副長官も後に、「強制連行を立証する資 料はなく、慰安婦の証言をもとに総合判断として強制があったということになった」と証言している。
しかし、この河野談話は慰安婦問題を完全決着させる効果は果たさず、むしろ官憲による「強制連行」という誤解を内外に拡散させる結果を生んだ。
国連人権委員会のクマラスワミ氏がまとめた報告書では、慰安婦を「性的奴隷」と規定し、日本政府に補償や関係者の処罰を迫ったが、その根拠の一つが河野談話 だった。現在、米下院で審議されている決議案の代表提出者マイケル・ホンダ議員(民主党)も、決議案の根拠として河野談話を挙げている。
日系のホンダ議員が決議案の代表提出者となった背景には、3月16日付本紙朝刊国際面で紹介したように、日系人が相対的に減少傾向にある一方で、中国系や韓国系住民が増加している選挙区事情があるなどと指摘されている。
95年7月、政府は河野談話を前提に、財団法人「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」を設立。これまで364人の元慰安婦に償い金など合計約13億円を渡した。併せて、橋本、小渕、森、小泉の歴代首相がそれぞれ「おわびの手紙」を送っている。
河野談話について、安倍首相は06年10月5日の衆院予算委員会で、自らの内閣でも基本的に引き継ぐ考えを示したが、官憲による「強制連行」は否定した。
◇米下院の対日決議案要旨
日本国政府は、1930年代から第2次世界大戦中にかけてのアジア及び太平洋諸島の植民地および支配の期間中において、世界に「慰安婦」として知られる、若い女性を日本帝国軍隊が強制的に性的奴隷化したことに対する歴史的な責任を公式に認め、謝罪し、受け入れるべきである。
日本国政府による強制的軍売春である「慰安婦」制度は、その残忍さと規模において、輪姦、強制的中絶、屈辱的行為、性的暴力が含まれるかつて例のないものであり、身体の損傷、死亡、結果としての自殺を伴う20世紀最大の人身売買事案の一つであった。
日本の公務員や民間の要職にあるものが、近年、慰安婦の苦難について、心からのおわびと反省を表明した93年の河野官房長官談話の内容を薄めたり、撤回したりすることを願望する旨表明している。
下院の考えとして、公式の謝罪を日本の首相が公的立場において声明として公にすべきであり、(日本政府が)日本帝国軍隊による「慰安婦」の性的奴隷化や人身売買は決してなかったとのいかなる主張に対しても明確かつ公に反論すべきであることを決議する。(外務省の仮訳より)
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