2013年11月8日金曜日

慰安婦問題の真実_第十三章_戦後の韓国の軍事政権と反日教育


第十二章 戦後の韓国の軍事政権と反日教育


この章では、韓国の凄まじい反日の背景になった戦後の韓国の歴史教育をについてまとめます。ここでは山田高明氏のアゴラへの投稿記事からフレーズまたはパラ グラフそのものを頂戴し、私はwikiからの情報を加えたに過ぎません。山田氏の記事は、流れがとても分かり易く解説されていますので、オリジナルは本章の2倍以上長いですが、是非全文をお読みください。

山田氏の投稿記事を一点に集約するなら、私にとって次のフレーズ以外ありえません。「翻訳された韓国の歴史教科書を読んでからである。日本人は冷酷非情な「悪魔」として描かれていた。近代日本は朝鮮に対して「殺戮と収奪のみ」をしたことにされていた。韓国政府の嘘と捏造はそこまで容赦がないのだ。」

反日教育の結果がどのようなものか?2013年11月9日TBSが放送した番組では、「韓国では子供たちからして、じわじわと反日イデオロギーに染まっている悲しい現実」が紹介されています。もちろんこのような国民ばかりではないことをお断りしておきます。番組では日本への留学をきっかけに、反日偏向教育の異常さに気付いた若者を紹介していますし、『親日派のための弁明』を記した金完燮(キム・ワンソプ)氏のように、逮捕・暴行・脅迫されても決して真実の主張を曲げない人もいます。

山田高明


元凶としての李承晩(イ・スンマン)
日本の敗戦により棚ボタ式に独立国となった韓国の政権指導者、初代大統領 李承晩(在任期間:1948-1960)には、独立戦争を指揮し独立を勝ち取った英雄のような強固な政治基盤がありませんでした。このため自身の政権の正当性を主張するために、前政権(日本統治時代)を徹底的に悪者にする必要がありました。

戦後のBC級裁判では、朝鮮人戦犯として14名の死罪をふくむ(例えば洪思翊陸軍中将143名が有罪となりましたが、このうち大半は、捕虜収容所の監視員として連合軍捕虜を虐待した“軍属”でした。彼らは強制徴用されたわけではなく、すべて志願でした。兵士の徴兵が行われたのは1944年からでした。

戦後、日本人の戦犯探しと平行して、日本人として戦った朝鮮人の戦犯探しも同様に行われました。保身上、戦犯の日本と同類に見られないよう、また自身の戦争犯罪があくまで強要されたものとの訴えが説得力を持つよう、徹底して「加害者と被害者の関係」に成りすます必要性がありました。

また、李承晩は共産主義の影におびえ、共産主義者の疑いをかけた自国民を大量虐殺するなど圧政を敷きました。済州島四・三事件(1948)保導連盟事件(1950)で合計26万人以上が虐殺されましたが、韓国内ではタブーとなっている黒歴史です。このときに日本に避難し密入国した在日朝鮮人が多くいますが、このことが在日朝鮮人問題が複雑極まりない理由の一つです。

李承晩体制時代が日本統治時代より過酷で恐怖に満ちた社会であることは明らかでした。だから李承晩は政権を握っている間、自分の時代よりも日帝時代をさらに悪虐非道に描かねば辻褄が合わなくなってしまったのです。だから韓国の歴史教育では、ほとんど悪魔として日本の姿が描写されるようになったと思われます。

その後も李承晩は1960年半ばまで独裁者の地位に居座り続け、自分に反対する者は政治犯として粛清し、デモや反対運動は徹底的に弾圧しました。日帝時代を知る世代からの「日帝支配下よりもはるかに酷い社会だ」という声は、思想言論の統制・密告制度・秘密警察などの恐怖政治で取り締まり、日帝時代を体験で知る世代が恐怖心から口をつぐむようにして世代間の分断をはかり、子供たちにはメディアと公教育を使って「偽の記憶」を植え付けていきました。



             韓国中学校歴史教科書


独立運動家・臨時政府・独立軍の本当の姿
李承晩は、朝鮮王世宗の系譜の両班の家系に生まれましたが、李氏朝鮮政府を倒し新国家を建設しようとした独立運動家でした。そのため1986年に逮捕投獄されました。日清戦争での日本の勝利によって李氏朝鮮が清からの支配を脱し大韓帝国(1897-1910)となった朝鮮半島ではありましたが、日本による影響力増大を嫌う大韓帝国内の勢力によってアメリカに派遣され朝鮮の独立維持のための運動に携わりました。

1919には、朝鮮の独立運動を進めていた活動家(李承晩のほか呂運亨金九など)によって上海で大韓民国臨時政府が設立されましたが、長年の功績が評価され李承晩がその初代大統領に就任しました。この臨時政府は枢軸国・連合国双方からいかなる地位としても認められず、国際的承認は得られませんでした。この臨時政府内では、指導者間の内紛が絶えずまとまりに乏しい組織で、1925年には意見の対立から李承晩は臨時政府を追われハワイに亡命します。

李承晩に代わって指導者の地位について金九(戦後、大韓民国政府内で李承晩と対立し1949年に暗殺される)は天皇暗殺(桜田門事件)、爆弾テロ(上海天長節爆弾事件)など抗日テロ活動を行いました。支那事変(1937-)勃発後は、臨時政府は重慶に避難し、蒋介石とアメリカの支援を受け韓国光復軍総司令部を創設し1941年12月10日には対日宣戦布告(日本政府に布告文書は通達されておらず、実効性は皆無)を行ったが、日本軍とは一度も交戦することの無いまま、日本の敗戦を迎えることとなりました。

一方、その他の独立軍とか抗日パルチザンと称する集団の正体は、満州の匪賊馬賊や満州やソ連領に逃れてソ連・中国共産党軍に所属していた朝鮮人のことでした。彼らは、銀行輸送車襲撃、日本領事館襲撃などの抗日活動を行い、一方、日本側は、張作霖らの満州の軍閥と時には協力し独立軍討伐を行いました。

これらの戦闘の一つが、青山里戦闘(1920)と韓国で呼ばれるものです。日本側の史料によれば、青山里戦闘で受けた日本軍の損害は、戦死11、負傷24のみで将校の死傷は見当たらない。この報告は靖国神社の合祀名簿によって裏付けられている。また、出兵後の第19師団の備蓄兵器調査においても、日本軍の戦闘損耗はきわめて軽微だったことが確認されています。


数字まででっち上げる韓国人の驚異の贋作力
この青山里戦闘ですが韓国では独立軍が日本軍に3千名以上の戦死者を出した大勝利したと信じられている。この臨時政府の戦勝プロパガンダを韓国政府が未だに継承しており、毎年「戦勝記念行事」まで開催しています。

このように独立戦争”の実態と称して、「○月○日、日本軍がどこそこの村を襲い、○○戸を破壊し、○○名を殺害した。それに対して、実在する人物名を使い誰々率いる実在した独立軍○○名が戦い、日本軍○○名を殺害して撃退した」などという話を次から次へと歴史書の中に書き加えていく。

このような卑怯な手法は、大多数の日本人にとって長らく常識外のことだったため、信じてしまう人が続出しました。GHQによって日本占領政策の一環として行われたWar Guilt Information Program (WGIP: 戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画 [第十五章] )で、洗脳されてしまったあるいは洗脳されかけていた日本人は、罪悪感、良心の呵責、贖罪意識から、謝罪するだけでは済まず、相手側の手先となり、結果的に嘘の片棒を担ぐ人も現れてしまいました。


なぜ嘘の国史が継承されていったのか?
李承晩後の軍事独裁政権も、李承晩の反日路線を継承しました。朴正煕(1963-1979、第八章)も例外ではありませんでした。朴正煕は日本の経済援助による成果もすべて自分の功績にしてしまったし、日韓基本条約で日本側が対個人補償として支払った見舞金のほとんどをインフラ整備につぎ込み、それを国民には秘匿していた(第八章)ことから、日本で一般に信じられているほど公正な人物ではなかったようです。

その後に大統領になった全斗煥(1980-1988)・盧泰愚(1988-1993)も、反日教育を継承しました。必然的に国内の軋轢を生む軍事独裁政治にとって、人々の憎しみや不満の矛先を反らせるため、反日は不可欠でした。1988年、韓国はようやく民主体制に移行しましたが、時すでに遅し「偽の記憶」が完全に既成事実化していました。

「偽の記憶」とは「われわれは日帝という悪魔と勇敢に戦って勝利した」さらに凄まじいことには「日帝が韓国を強制併合して収奪と民族抹殺を始めると、独立軍が各地で蜂起し、日本軍と果敢に戦った。太平洋戦争が始まると、臨時政府は日帝に宣戦布告し、連合国の一員になった。韓国の独立はこのようにして自力で勝ち取ったものだ。韓国人BC級戦犯については、あくまで強制動員され、犯罪を強要された“被害者”にすぎない」とさえも。

韓国の歴史教科書では、日本人は冷酷非情な「悪魔」として描かれています。子供たちは当然、それがすべて事実だと信じ込んで育つ。韓国の歴史教育が描く日韓関係とは、いわば「100%の加害者と100%の被害者」であり「絶対的な悪と絶対的な正義」のそれなのです。


初めから存在しない“日韓友好”
韓国とは、このように特定の民族への憎悪と偏見を植え付ける洗脳教育を国家として65年間も続けてきたアブノーマルな国なのです。しかも、事実に反するまがい物を「正しい歴史認識」などと称して、日本人にも強制しようとしている。

山田氏は、「韓国が、友好国だとか同じ価値観を共有するパートナーだとか真顔で言っている日本人は、よほどの無知か、馬鹿がつくお人好しか、手先系か、どれかである」「
韓国とは、もともと、こういう国なのであり、今や片っ端から因縁をつけ始めたのは、情勢の変化により本性を隠す必要がなくなっただけの話である。」と述べています。昨年までの私なら否定したでしょうが、今では、ほぼ同意する意見です。

情勢の変化とは、サッカーワールドカップを開催したりサムスンや現代グループなど韓国財閥が世界の製造業で著しい地位を占め経済力が上がるなどしたことによる変化で、これにより韓国人自身が自国に自信を深めてきたことで、強気に出るようになったということです。2012年には韓国内のマスメディアからでた「韓国は日本を追い越した」という記事は、そのことの好例です。

山田氏は続けます。「そもそも、日本人の考える日韓友好と、韓国人の考えるそれとでは、大きな隔たりがある。日本人は文字通り「対等な友人関係」をイメージする。ところが、韓国人の中では「100%の加害者と100%の被害者」という関係が前提になっていて、それゆえ彼らが「友好」とか「協力」を口にする場合、「日本人は加害者としての己の立場をよくわきまえろ」という意味が込められているのである。それは換言するなら「被害者に尽くせ」という意味だ。」と。

この100%被害者という意識が根底にあるとしか思い得ない韓国人の行動は、慰安婦問題が持ち上がる以前にも見られました。朝鮮人元BC級戦犯者7人は日本政府・日本軍が負うべき戦争責任を肩代わりさせられたとして1991年11月日本政府を相手取り提訴しました。日本の地裁、控訴審、最高裁判決はすべて請求を棄却しました。

先に述べたように、朝鮮人軍属はすべて志願者、軍人も1944年以降にはじめて徴兵が開始され、それ以前は志願でした。戦争末期に徴兵された末端兵士が、BC級裁判の被告になることは考えにくいので、裁判で有罪になった軍人は志願した朝鮮人だったと推察します。当時は朝鮮人による日本軍入隊のための血書提出すら流行しており。1939年には45名、1940年には168名が血書を提出している。後に大統領となった朴正煕も血書を提出し満洲新聞1939年3月31日付に掲載されています。

それでいて戦後半世紀近く経って「日本が負うべき戦争責任を肩代わりされた」と日本政府を相手取って裁判をおこすなどという非常識な行為は、「100%の加害者と100%の被害者」という意識が根底にない限り有り得ないと思います。

日韓が今後付き合う上で、日本のとるべき態度ははっきりしているでしょう。まず「歴史教科書を事実に沿って書き直せ」と「日本の教科書検定にいちゃもんをつけるな」の2点。そして、韓国の心底にある感情が普段は見えなくとも警戒を怠ることなく、できるだけ距離を置いてお付き合いをする。そうでなければ、これまでのように「いくら経済援助しても謝罪を要求される」という愚を繰り返すだけに過ぎない、と思います。



参考資料

「中国・韓国の歴史教科書」に書かれた日本 (宝島社文庫)
カスタマーレビューより。中韓の教科書に関しては、反日教育云々以前に、これは学問としての歴史を教えるつもりはまるで無いということがよくわかる。主観的な歴史は学問じゃなくて思想でしかないという好例。

 


韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する―歪曲された対日関係史 (小学館文庫) [文庫]
韓国の教科書をみると自国に都合の悪い史実は隠したり、ないことをあると誇張する箇所が随所に見受けられる。また、古代から近世にかけての文化的優越感を強調するかのように、日本に多くの文化や技術などを「伝えてあげた」式の記述が繰り返しなされているという。と著者は指摘している。 



韓国の歴史教科書を読む 韓国中学校歴史教科書翻訳本を解説したサイト

  

중학교 국사, 국사편찬위원회, 국정도서편찬위원회, 교육과학기술부, 2002년 초판, 2009년 8쇠.
三橋宏夫訳『韓国の中学校歴史教科書-中学校国定国史』明石書店,2008年.

反日は韓国人のアイデンティティの中核で、反日しない韓国人などもはや韓国人とは言えない。歴史教育は、このような反日イデオロギーの再生産を担う重要な装置である。学界では1990年代以降「植民地近代化論」が台頭し、日本統治時代の肯定的な変化を評価する方向に変わって来た。しかしその成果は歴史教科書にほとんど反映されておらず、依然として「日帝の悪辣で非人道的な収奪」をヒステリックに糾弾している。(中略)ここでは2009年度の教科書で韓国の反日教育を概観する。


TBS 情報7daysニュースキャスター 2013/11/9 放送
現在の韓国における反日の実態をレポート。子供から大人まですべて「反日」に染まっているようにすら見えます。これが65年に渡る反日教育の成果なのかと、そら恐ろしく感じます。救いは、日本にきたことのある韓国人留学生が、韓国の異常さに気がついてくれたこと、ぐらいですかね。



国民保導連盟事件という1951年に起きた 韓国軍による20万人以上の虐殺事件を告発するビデオ


暴走する韓国歴史教科書 なぜここまで酷くなったのか youtube
9:30以降が日帝時代の歴史歪曲に関する内容です。



第一章でも紹介した呉善花氏の著書の書評。丸ごとコピーです。

なぜ韓国では反日が「大義名分」となったのか?重慶の一団体が「臨時政府」を名乗ったところから歴史の捏造が始まった

反日韓国を分析する警世の書の決定版だ。でたらめな論法、整合性のない論理、八方破れの言い分。なにがなんでも反日路線、盲目的に突っ走る韓国には著者の呉教授が言うように「未来はない」。

未来どころか「明日もない」ほどの混乱を極めている。漢江の奇跡を自画自賛したあたりまで、まだ前途には多少の明るさが残っていた。いまや反日大統領のあらゆる言動が、韓国を自ら窮地へ陥れている。やっぱり、この国は救われない。評者にいわしめれば、米軍よりの少壮軍人による軍事クーデタしか、残されて道はないのではないか?

日韓関係を悪くした元凶は朴権惠大統領にあるが、韓国はすべてが日本に責任があるとアメリカでさえあきれかえる言い分を主張している。

だが、著者がもうひとつ大事なポイントを指摘している。それは「歪んだ反日」が韓国の社会をずたずたにして、経済を駄目にしてしまったことだ。

外交軍事的には中国へ依存する決定をして、日本を相手にしないという方針に切り換え、通貨スワップの延期を断ってきた。外貨準備の薄い韓国で、つぎに通貨危機がおこるとすれば(間違いなくウォンの大暴落があるだろうが)、それは韓国の責任である。

さて、このビョウキとも言える『反日主義』が、なぜ韓国の『大義名分』となったのか、呉さんは、その淵源を戦争中に海外にあった、でっち上げ『臨時政府』に遡って捉え直す。

「日本敗戦から韓国建国まで三年間には激しい権力闘争があったが、結果的に強固な反日主義者が政治的な実権を掌握していく」のだ。

つまり「重慶にあった大韓民国臨時政府」なるものを現在の韓国憲法前文で『継承する』としているからだ。

名前こそ「臨時政府だが、枢軸国側にも連合国側にも承認する国はなく、国際社会からはどんな地位も認められていなかった」「一団体」でしかない。それを正統政府として認めて継承した国家がいまの韓国である」(47p)

だから反日は体内に染みこんだ病原菌である。

したがって「韓国は日本帝国主義の侵略に対して、我々は果敢に反日独立運動をもって闘かい、独立を自らかちとった」というファンタジー歴史観が成立したのである。

そして経済的に豊かになり、就学率が高くなると学校で反日教育が行われ、つまり朴正煕政権で『反日路線』が確定した。その娘が大統領になったということ は、骨の髄まで反日教育につかった人物であり、世界中をまわって日本の悪口を言い続ける愚鈍な政治家に韓国は国の運命をかけるのである。救いはない。



韓国ネットでは「死んで当然」「正義の審判だ」



反日教育反日政策の成果を物語る韓国内反日写真の数々へのリンク

Bird Massacre demonstration by South Korean
雉は日本国の国鳥です。誰かたしなめる人はいないのでしょうか? 
たしなめたら命がアブナイかも。




雉だけでなく、秋田犬の生首、豚の四肢をしばって四方から引く。どういう事かわかりますね。あまりに惨いので、写真をココで載せるのははばかられます。正視できる人だけご覧あれ。




”桜の花びらの「日本人よ、誇りを持とう」”というYahooブログにあった投降です。この主張の元記事(書籍など)が見つからないのですが、説得力のある意見です。皆さんはどう思いますか?

記事の内容:韓国には反日の市民団体がたくさんある。目的は過去の日本への謝罪と賠償なのだが、実はそれは二の次でもっと大きな目的がある。韓国内の反日市民団体はビジネス(金儲け)のために反日をしているカラクリを説明しています。是非読んでみてください。なるほど、動物を殺したりする過激な行動の理由が分かる気がします。元慰安婦とされる人たちは、金儲けのために利用されている。ということか。






 
日本統治時代に建てられた旧ソウル市庁舎(左の古い建物)の後ろににそびえ立つ新ソウル市庁舎。 巨大Tsunamiが旧市庁舎を襲うというコンセプトとの話だ。もう言葉がない。









                               公共交通機関のターミナル







 

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